逸郎くんのようす
2005年9月

2006年3月入院直前

2006年7月病室にて

2006年9月27日
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 4月5日(木)
厚木市役所・記者クラブ会見席での 帰国・退院報告の記者会見に出席しました。

・「去年は桜を見ることもできなかったので、桜の花は2年ぶりに見てすごく感動しました。」
・「福岡のじいちゃんばあちゃんに早く元気な顔を見せたい。」
・同級生たちも暑い中の募金活動をしてくれて 「暑い中 ありがとう!」というと 
「おまえのためなら暑さなんか感じない」と言われたそうです。
本当にありがたい気持ちでいっぱいです。

記者さんからの質問で
○ 同じような病気の人へのメッセージはありますか? 
「怖いかもしれないけれど 一人じゃないから大丈夫だと伝えたい 助けてくれる人がたくさんいる」
逸郎君も同じように 入院生活のなかで 移植経験のある先輩から励まされ 移植を決意したそうです。

○ 大学への復学は? 将来やりたいことは?
あと一年ぐらいは復学は難しいと思いますが、復学したいと思います。
ひとより3年くらい遅れますが、将来は編集・出版の仕事をやってみたい。

他にもサッカーチームへの復帰は?などの質問もありました。
サッカーは現役選手としてのプレイは無理かもしれませんが 形を変えて参加していくようです。

帰宅後も 食事の制限があり お薬を飲み続けます。
さまざまな副作用に 体調が左右される日もありますが
日常を取り戻し たくさんの「愛」と「応援」の結実した今から
一歩ずつ進んで行ってほしいですね。



2月20日(火)
念願の帰国が叶いました。
到着ロビーにたくさんの人に混じって あごヒゲを蓄え、眼鏡をかけた逸郎君が
しっかりとした足取りで歩いて現れました。
体重がまだ元には戻らないものの 頬は少しふっくらしたように見えました。
日本に帰れると決まってからは 食欲も増し、元気も出てきたようです。

長旅の疲れは多少見えましたが出迎えの人たち(家族・日本移植支援協会・救う会スタッフ・支援してくださった会社関係の方々など)に挨拶をして お友達の声を聞いた頃には 笑顔も戻り 
検査のために埼玉医科大学病院に直行しました。

無事に帰宅できて 自分のベッドで休むことができた時
翌朝の目覚めはきっと格別でしょうね。

お帰りなさい 逸郎君
み〜んな あなたの笑顔を待っていましたよ。
しっかりと ドナーの方の命を引き継いで ゆっくり着実に回復してください。

2月13日(火)
2月20日(火)に日本に帰国することが決定しました♪

「まだすべてがベストではありませんが、誰よりも本人が一番楽しみにしています。
本当にすべての皆様に深く感謝申し上げます。
逸郎の命を助けていただきまして
本当にありがとうございました。」

このご家族の言葉にすべての気持ちが詰まっています。


2月9日
うれしいお知らせです。
逸郎くんの 「帰国」のめどがたってきました。
 
あと数回の検診やリハビリの後 早ければ今月中にも帰国できるかもしれません。
薬の副作用で食欲も落ちて だいぶ痩せてしまったようですが
日本には 応援して下さる方々をはじめ たくさんの友人も家族も首を長くして待っています。
食べ慣れた食べ物に 見慣れた景色と空気がきっと逸郎君を癒して 快癒へと導いてくれるものと信じます。
 
1月22日(月)
少しずつ食事が出来るようになって ずいぶん顔色も良くなり状態も安定してきたようです。
先週のバイオプシーの検査は異常なしで心臓の状態も良好のようです。
次回のバイオプシーの検査で異常がなければその後の1ヶ月後の検査は
日本で受けても大丈夫だろうと主治医から告げられました。
検査結果次第では「帰国できる」可能性も大きくなってきたということです。
心臓はしっかり動いているので 
すべて順調に行くことを祈るのみです。

満面の笑みを浮かべた 逸郎君が目に見えるようですね。


1月16日(火)
逸郎君は吐き気がだいぶおさまってきたようです。
少しずつ食欲も出てきています。

心からの笑顔が戻る日を心待ちにしています。

2007年1月11日(木)
前回お知らせしたように 毎日飲まなくてはいけない薬を飲めなくなってしまったり(いろいろな副作用がでています。)
体力の回復もややにぶり気味なことから入退院を繰り返しています(お医者様の指示に従っています)。
本人も家族も応援してくださっている皆さんにいい報告ができないことをとても辛いことと思っています。

しかし 逸郎君も家族もとても頑張っています。
大変 幸運なことではあったのですが 渡航から移植手術を受けるまでの時間が短かったために
環境に慣れる お薬に関して 移植手術を受けることの予備知識 そういったものが
後回しになり 常に「不安」もあったことでしょう。

今は 少しずつでも苦痛が減って笑顔が戻るように 祈るばかりです。
あたたかくなる頃には きっと落ち着いた様子をお知らせできると信じます。

頑張るばかりじゃなく リラックスも大事だよ 今は特に「自分」を大事にしてあげてね。

12月31日(日)大晦日 ご家族からのメールを一部転載
今年は本当にお世話になりありがとうございました。 
皆様のおかげで逸郎君に未来がつながり 希望が持てるようになりました。
深く 厚く感謝申し上げます。 
 
実は 26日から嘔吐がひどくなり、再度入院しました(現在入院中)
大事な薬を飲めなくなり やむをえず点滴で薬を身体に入れてる状態です。
20種類以上の薬の投与は 身体も小さい為 胃が耐えられないようです。
嘔吐がひどくて薬が飲めないだけで
心臓や他の臓器にはなにも支障はないようです。
嘔吐がおさまれば 退院できるようです。
 
声が出ない状態が長引いたので検査しましたが 声帯の筋肉にも昏睡時の影響が見られます。
これも時間がかかりますが 声は戻ってくるそうです。
 
皆様にご心配おかけしましてすみません
色々な副作用と戦っていますが 元気です!
 
目覚めが奇跡だったようですので その後の回復は のんびりのようです。
でもニューハートは確実に命のバトンを下さいました。
今の状況は頑張って乗り越えていけると信じてます。
 
皆様
良いお年をお過ごしください。


12月18日(月)逸郎君のお父さんからお知らせいただきました。
逸郎君は毎週月曜日に心臓の組織を摘出し、
拒絶反応が無いかを検査しているそうです。
そのほか月曜以外の週一日にほかの検査をして
これを一ヶ月程度続け経過が良ければ、
2週間ごとに間隔が空き、
そのあと一ヶ月ごとの検査になり、
問題無い様なら帰国へとなるようです。

本人は一時的にひどく痩せましたが、
今はだいぶ回復して来ているようです。
お医者さまにも太るように言われてるらしいです。
ですが、20種類以上の薬を日に4回(回20種以上ではないらしいですが)
服用ということで、
胃がかなり疲れ食欲が薄れていて食が細いようです。
しかし、少しずつながら食べられるようになって来てるので、
体力も体格も付いて来ているようです。
体には点滴の管とかは何もついていないということです。
今は食事と薬だけです。

通院の間隔が空くようになれば 帰国の日も近くなるということですね。
本人もご家族も大変な思いをされているでしょうが 一ヶ月前と比べると 
目に見えるような回復力にうれしくなりますね♪

12月16日(土) お母さんからのメールを一部転載しています。

「無事退院して3日目です。
昨日はまた1日病院で検査三昧でしたが、元気です。
声がでないのと 震えの症状は薬の副作用なので仕方ないです。
食欲のほうもたくさんは食べれませんが ずいぶん回復してきてます。
やっと 本当に少し落ち着きました。
今までがむしゃらで必死に突っ走ってきた感じがします。
日本で待っててくださってるたくさんの皆さんがいるということが本当に励みになってます。

逸郎も良い顔になってきました。
退院して 8ヶ月ぶりに外の空気を吸ったとき 感動してました。
自分の足で外に出れた喜びはひとしおのようでした。
退院する朝 雨が降っていたのですが 退院する時間にちょうど雨が上がって
虹がでたんですよ。 これもまた本当に感動しました。
 
いつも 本当にありがとうございます。」

虹まで逸郎君の退院を祝ってくれたんですね。 何気ない外の空気 自分の足で歩くこと
 「生きる」ことの実感を伝えてもらって 感動を共有できることが幸せだと感じます♪

12月13日(水)  朗報です♪
逸郎君は薬による副作用もだいぶおさまり、現地時間12日昼ごろ 退院することができました。
今日からは家族の滞在先で一緒に過ごして 病院には通院して治療やリハビリをします。

代表が逸郎君と電話で話すと これも薬の副作用でしょうか、声がかすれていましたが
「早く 日本に帰りたい」と言っていたそうです。

代表は
「せっかくもらった命なんだから、
急がないでじっくり養生して、しっかりと自分のものにして、
ちゃんと元気になって帰っておいで。
それまでみんなはちゃんと待ってるから。」と応えてくださったそうです。

逸郎君の頑張りと みなさんの想う気持ちが きっと相乗効果をあげて
いるんですね。


12月3日(日) お母さんからのメールを転載しています。

病室からMount Hoodという富士山によく似た山が見えるのですが
今日はその山がとても綺麗に見えてます。(このページの背景になっています。)
逸郎の状態は相変わらずムーンフェイスとにきびが治りません。
昨日は体調は良好でしたが
今日は朝 嘔吐して頭痛と肩こりで少し体調不良のようです。
でも、肺の管がお昼頃取れて 初めてリハビリで個室の建物から自分の足で歩いて
病院内にあるスターバックスまでコーヒーを買いに出かけました。
 
一進一退しながら回復してますが
クリスマスまでに退院できれば良いなと願うこのごろです。

 雄大な山と澄んだ空気を想像させる素晴らしい景色ですね。

12月1日(金) オレゴンからの画像です
逸郎君にまた一つ伝説が♪
OHSU(オレゴン州立大学病院)の医療スタッフの皆さんの関心をよんでいるのが
以前にご紹介した「黄色いヘルメット」です。
逸郎君の意識が戻らなかったとき、このヘルメットを始め応援色紙や千羽鶴やさまざまな品物をベッド周りに置いて
意識回復を願ったそうです。

意識が戻って お医者様の質問が・・・
「これはなにをするもの? どうやって使うの?」
頭にかぶって 飲み物を横に置いて こうやって飲むものだと説明したところ
お医者様たちに 大うけだったそうです。
そして この「黄色いヘルメット」は カルテにまで書き込まれました。

右側の写真は オレゴンのボランティアさんのお友達たちが
逸郎君の危機的状態だったときに祈りをこめて折って下さった千羽鶴たちです。
バルーンはアメリカ式のお見舞いだそうです。

色紙は埼玉の
浦和レッズのサッカーチームの皆様からの寄せ書きです。
 
本当にたくさんの皆様の熱い思いが伝わって逸郎君は確実に回復しています。


11月29日(水)
逸郎君のお母さんのメールから一部ご紹介します。
「おはようございます。
 
病院は山間にあるのですが
今日は少しだけ雪が積もりました。
ポートランドは寒いです。
 
昨日の夜に個室に移りました。
頭のほうも元に戻りました。
身体のほうは、頭痛がしたり 少し歩くと息切れがしたりしてますが
食欲もあり 順調に回復してます。
 
副作用のひとつに顔が浮腫み にきびが出るのですが
まさに今ピーク状態で 顔が別人になってます。
写真を送りたいのですが 逆に心配かけるような顔になってますので
もう少し待っててくださいね。
肺へのチューブもあと1日くらいで抜けるようです。
 
今日はお薬の勉強会がありました。
たくさんのお薬を飲んでます。 ちゃんと理解しておかなければ
退院後は自分でお薬を調達しなければいけないので大変です・・・・・」

 勉強会もあるんですね 景色や温度を感じる心の余裕が見えてほっとしています。
  日本も冬ですよ、まだ雪は降らないし陽射しは少し温かいけれど 風はとても冷たいの。
  オレゴンの風と景色と人の温かさにゆっくり癒されて帰っておいでよ み〜んな待ってるからね。


11月24日(金)
一過性の拒絶反応も出てはいますが
だいぶ頭もすっきりしてきて通常会話ができるまでに回復しているそうです。


11月21日(火)
「こんばんは
11月20日(月)午後11時過ぎです。(オレゴンは日本と時差が-17時間ありますので 日本時間の午後4時過ぎごろ)
 
昨日まで不安定だった意識が 今日 厚木インディーズの方々の
応援メッセのDVD見てから ちょっと変化がありました。
「うれしいなぁ〜〜〜!!」と笑顔でつぶやいて 頭の中の雲がふっきれたような感じでした。
本当にたくさんの皆様が逸郎を応援していることを伝えたら
自分でPCに触り始め 救う会のHPを自分で見始めたのです。
ちゃんと理解してゆっくり見てました。
 
顔色もとても良くなってきてます。
今日は、朝から検査三昧だったのでこの時間に熟睡してます。

傍で介護しているお母さんからのメッセージです。
少しづつ 少しづつ回復している逸郎君の様子を「ありがとう」の気持ちをこめて知らせてくれています。

11月20日(月)
点滴の管も18日(日本時間19日)の午後からすべて取れて シャワーを浴びる事ができました。
リハビリも医科大でやってたので歩行訓練もしっかり出来てます。
トイレも自分で行けるようになりました。
ただ、意識障害がまだ残ってます。(お薬の影響らしいです)

先生の説明によると 意識が戻るのに通常の3倍かかったので
元通り元気になるのはやはり 3倍の日数を見ておいてくださいと言われました。
逸郎君の場合は日にちが薬にもなるようです。
脳への影響はほとんどなく完治するだろうとの事でした。
まずは彼にたっぷりの時間を与えてくださいと言ってました。

まだ家族が病院で24時間付きっきりの介護をしています。
「負ける気がしない」と言っていた逸郎君と
「負けるわけにはいきませんからね。」と頑張る家族です。

現地 オレゴンでも ボランティアの方々がとてもあたたかい親切な対応をしてくださっているそうです。

遠く離れた日本で 想い祈ることしかできないけれど
逸郎君の快癒を みんな首を長くして待ってるよ。


11月15日(水)
14日に人工呼吸器が外れて
家族が24時間体制での介護をしています。
意識は回復したものの 睡眠障害や朦朧とした状態が続いており
時おり ふ〜っと自分を取り戻す時に 最初は片言で・・・
少しずつ「痛い」「眠い」と言うような言葉が出てきたようです
生死の境をさまよっている時のことも
「体が熱くなった」「たくさんの声が聞こえるほうに戻ってきた」と言っているそうです
数限りないたくさんの祈りが逸郎君を「生」へと導いてくれています。
日本から遠く離れた地で快復に向かって歩む逸郎君を想って
笑顔で帰国できる日までと みんなが ずっと 祈ってくれているよ。

ずっと心の奥底にあるものは 逸郎君へ命のバトンを渡してくださったドナーの方への想い。
どこのどういう方がと知る術はありませんが
感謝と哀悼をこめて どうかやすらかにと祈らずにはいられません。

11月12日(日)午後3時過ぎ
オレゴンから 山は越えましたと連絡あり。
詳細については依然わからず不安が残っていますが
手足が動き、家族の声に反応し、瞳が動いているようです。

11月11日未明(土)
早朝にお母さんからの連絡 「脳に髄液が溜まって 脳が腫れている 移植手術では異例のこと。
緊急に医療スタッフを増員してチームが組まれ これから 頭蓋骨に穴を開けて髄液を抜く手術をします・・・・・・・・」
逸郎君は移植手術後 意識を回復しておらず原因不明のまま2日間が経過していたそうです。 
この日に脳に原因があることがわかり緊急手術になりました。手術は当日中に無事終了
術後手足は硬直し家族の声にも微かに反応する程度・・・

11月8日(水) 到着早々に無事に移植手術が受けられました!
早朝5時ごろに オレゴンの逸郎君のお母さんよりメールがあり
「ドナー見つかったの!夕方から手術です。嘘のようだけれど本当の話!」
十数時間の移動時間に耐え オレゴンに着いて一夜明けたら ドナーが現れた・・・・・・・・

この驚くべき早さで物事が動く中で オレゴン時間 7日午後11時過ぎに 無事手術は成功しました!!
今後の経過は 続報が届き次第 ご報告します。
ドナーの方の大切な命のバトンを 逸郎君はしっかりと引き継ぎます。


11月6日(月)
主治医の西村先生に付き添われ
自分で歩いて 友人や大勢の見送りの人が待つ待合室に現れた逸郎君
疲れを見せず、しっかりとした足取りでした。(リハビリの成果がでていますね)
サンフランシスコで乗り換えてオレゴン到着までは13・4時間の空の旅
大勢の友人たちに囲まれ 談笑していました。
気負うことなくいつものスタイルです。

「元気になって帰ってきてね」の声に
はい!」と 力強い返事が返ってきました。

逸郎君 行ってらっしゃい。

 11月3日(金)
あと数日でいよいよオレゴンへ。
体調も整っています。
例の黄色いヘルメットをかぶり ジュースも飲んでみたそうで 「調節が難しい」と言っていたそうです♪
病室のベッド周りの片付けもできてきたかな・・・?
←いつも逸郎君の人工心臓を守っているお母さんのお手製のカバーです。
逸郎君の身体の外にむき出しにつながれている補助人工心臓を 手入れしやすく 着脱しやすく 、何枚も作られたお手製のキルティングのカバーです。
高熱に苦しむ逸郎君を見ながら冷却材の入るポケットをつけたり、身体への接触面が痛くないようにと工夫したり・・・
新たに加わった 福岡からの千羽鶴です。→
たくさんの「祈りと想い」が逸郎君に届いています。


10月27日(金)
そろそろ渡米に向けてベッド周りもお片づけを始めています
不安もありますが
すでに移植を受けて元気になった先輩方の訪問もあり 
元気付けられて準備に勤しんでいます。
右写真は 逸郎君に応援パワーをたくさん贈ってくれている願いのこめられた鶴たちです。
最近、睦合東中学校(逸郎君の母校)からも千羽鶴が生徒さん代表の手により届けられました。
たくさんの「想い」にあとおしされて リハビリに準備に頑張っています。


10月17日(火)
少し食欲不振かな?お肌が荒れ始めているらしい
朝晩の気温差が激しいから体調管理が難しいですね

だった黄色いヘルメット。
その実態は「ストロー」らしいです
飲み物を飲むときに おもむろにヘルメットをかぶり
口元までつながったストローで思い切り吸い込んで 飲むらしいのですが
かなりの肺活量と ぐるっと頭の外側を回ってくる ジュースの量やスピードの
加減が至難の業らしいですよ
「まだ 肺活量がねぇ・・・」

元気になって ガンガン飲める日が待ち遠しいですね。 (v^-^v)


10月5日(木)
←リハビリ(自転車こぎ)する逸郎君
この軽やかな足さばきを見て! 
手振れしただけかな・・・?
チューブでつながっていても 補助人口心臓(お腹の前に下がってます)
つけていても 頑張ってます。

だった黄色いヘルメットも画像ゲットしましたので近々にアップします。
その正体と使い道も。。。

 9月30日(土)
 体重が2kg.増えて46kg.になったそうです。
 リハビリの階段の昇降も軽くこなせるようになってきたようです。
 筋力テストの結果も10代とのこと(さすが若者 実年齢より若いなんて・・・)
 渡米に向けての体力づくりは万全ですね。

 9月27日(水)
 A-I-Mの皆さんの応援ライブの時の「寄せ書き」を手渡してきました。
 嬉しそうに 読んでいました。
 食欲もあり、リハビリもこなし 補助人工心臓の装置が身体についていなければ・・・
 一時期よりは少しお肉もついて 笑顔のさわやかな青年でした。
 「取材にきたんだよ」と話しかけると「なんにもないよ。なにも変わらなくて ネタがない」と苦笑い。

 補助人工心臓が身体から直接むき出しになっていて チェックや柄物のキルティングで
 お母さんがカバーを何枚も作って 掛けていました。

 小高い丘の上にある大きな病院で 11月初旬の渡米に向けて 日々精一杯頑張っている逸郎君に
 心の中で「このまま(体調)オレゴンに行くんだよ みんな応援してるからね」と言ってきました。
 トップページにある写真は 無理やりのように「Vサインは?」と要求したら 一瞬だけ
 照れながら応じてくれました。
 差し入れのおせんべいと つながった 袋菓子 食べた? (v^-^v)

9月16日(土)
  吉報です!!
  術後ずっと付けてた小型(タバコの箱サイズ)の心電図が取れました。かなり邪魔な代物だったのですが
  胸のあたりがすっきりしていたそうです。 よかったね 動きやすくなるかな?

  ベッド周りには5千羽の鶴と十数枚の寄せ書きメッセージなどがあり、
  これらが逸郎君にパワーを送り、お守りになっています。
ここで 伝説がひとつ
  逸郎君の仲間からの情報で
  あるおじさんの話が出たそうです・・・それが・・・
 「元気になったら まず くにちゃんのおっちゃんのとこ行け!」「あのおっちゃんは すごい!」
  海老校仲間で伝説のおじさんになってるとのこと 逸郎の募金活動にこの人有り!だそうです。
  
  おっちゃんことIさんは 救う会の街頭募金部隊長(実際には実行委員長)です。
  この Iさんの最初からの演説がなかったら 学生さんたちも声を出せないかも
  しれなかったそうです。
  学生さんたちの 必死の呼びかけの根源は 友を想う気持ちと 
  Iさん
の名物とまで呼ばれるまでになった呼びかけの声だったんですね。

  自分の命をたくさんの人が支えてくださっていることを知るにつれ 
  自分が元気になった姿を見てもらって初めてお礼ができるとかみしめているようです。

9月12日(火)
  状態は安定しているようです。
  あごにはチョロチョロとヒゲが疎らに生えているそうです。
  英文の術後の注意事項の冊子の翻訳を渡米までに間に合わせる為に
  今 必死にやってるようですよ〜。
 
  募金額の目標達成見込みがついたことを知り、メッセージを書くことを検討していましたが 
  さらっとは書けない想いがあるようです。
  離れていても 皆さんの温かさに触れています。

  お友達に「逸郎君に会えたら 様子を教えてね〜!」と管理人がお願いしましたら
  「逸郎は僕たちが行くと無理するんですよ・・・つらくても いつも笑顔で・・・」とD君


 友達にはお見通しさw 無理しなくていいんだよ まんまで・・・ (*'-'*)

9月9日(土)
  今日はお父さんが病院にお見舞いに行って お洗濯したそうですよ(コインランドリー)
  ここのところ更新がなかったので 逸郎君はどうなの?とよく聞かれます。
  「相変わらずでなにもネタが無い・・・」と ぼやく逸郎君です。(ネタじゃなくていいから・・・)
  体調が安定してる証拠 リハビリも頑張っています。

8月31日(木)
  逸郎君は ヒゲを生やすそうです。
  「男らしさ」の主張・・・かな♪
  高校時代の友人たちがお見舞いに来てくれて、とても楽しそうに笑っていたそうです。

8月26日(土)
  だいぶ食欲も戻ってきたようです。

  北九州から大好きな叔父さん一家がお見舞いに。
  「逸郎とは補助人口心臓の装着手術の後に会ったきりだった。
  意識が朦朧として生気の無いまなざしの時に
  数日の滞在後 後ろ髪を引かれる思いで帰った。
  あの時の逸郎とはまるで違う 元気な頃の逸郎よりもまた一回り命の息吹を感じるくらい
  成長した目の輝きを見た」 と感慨深く話していました。
  先日ご紹介した 翻訳も進んでいるようです
  逸郎らしくておもしろい解釈だ と叔父さんのお話でした。

8月20日(日)
  食欲不振はやや改善されたようです(^^)
  なにが食べたい?の問いかけに「カレー、キムチ・・・」と。
  元気なころの笑顔も戻ってきたようで 15日にお友達がお見舞いに行った時は
  ずっと お腹を抱えて笑っていたそうです。

  がひとつ・・・病室に黄色いヘルメットがあるそうで、お母さんは 
  「あまりにベッド周りが散らかっているので 頭上注意の意味でお友達が
  お見舞いにくれたんだろう」という意見です。
  はたして 真実やいかに?

8月12日(土)
   夏バテ気味?でやや体調不良です。
   胃腸の調子がいまいちで食欲不振ですが 「移植前後の生活留意点」のような小冊子
   (確かな題名でなくてすみません)が英文のため 翻訳に挑戦中
   筋力テストの結果も 日頃のリハビリの成果がでて26歳相当にまで復活

8月5日(土)
   体調は好調のようです。
   リハビリの自転車こぎも 徐々に負荷を大きくして 体力回復のため頑張っています。
   友達たちや みんなの活動の様子を聞いて 涙ぐんだりも・・・(ナイショだったかな?)
  みんな 逸郎君の笑顔がみたいだけだよ♪

7月29日(土)
   胃の調子も落ち着いてくる。
   母が面会に行った際 リハビリでお世話になっているお兄さんたちから聞いていた
   オススメの中華屋さんのラーメンと餃子を夕飯として病室に持ち帰る 
   温かいラーメンを食べたのは 半年ぶりで ラーメン好きの逸郎君は うれしそうにすべて完食!
  食べれば 元気がでてくるよ〜♪

 7月26日(水)
   胃の調子が悪くなったのか 食後に嘔吐する。
   やや体調不良になる。

 7月16日
  体重が46kg
  筋力テストの結果も50歳代まで回復する。(一ヶ月で30歳分 若返る)

 7月3日
  体重が43kgに増える。
  顔に吹き出物ができる。
 「お風呂にはいりてぇ〜・・・」

 6月29日
  41kgだった体重が少しずつ増え始める。

 6月22日
  
  個室から二人部屋へ移動になり、つきっきりの看護は不要となる
  リハビリも自転車こぎが追加される。

 6月中旬
  肝臓・腎臓・肺の機能も回復する。
  リハビリの歩行訓練が500m余裕で歩けるようになる。
  しかし 筋力テストの結果は80歳代との結果・・・本人は 少しがっかり。

 6月18日(日)
  現在 一進一退を繰り返しながらも 点滴の管は外れ やっと微熱もさがり
  失った体力をつけるため歩行訓練を頑張っています。
 5月2日(火)
  CICU室から個室へ移る。

 5月1日(月)
  CICU室 精神的に不安定で睡眠障害が出て眠れなくなる

 4月30日(日)
  CICU室 午前11時の面会で人工呼吸器が外れる。

 ほんとに 小さな声だけど 声を発した!!

 4月29日(土)
  CICU室 午後3時の面会で意識が戻ってきたのを確認

 手が動いた!!

 4月28日(金)
  午前11時過ぎ 埼玉医科大学病院へ救急車で人工呼吸器を着けたまま搬送される。
  午後2時前到着 そのまま手術の準備に入る
  午後5時30分 補助人工心臓装置の手術開始
  深夜12時過ぎに手術室から出て CICU室に運ばれる 無事手術は 成功
  (後日談ですが この時手術前の心臓は 9%しか動いていなかったとの事)

 4月27日(木)
  東日本循環器病院の主治医から内科治療の限界を伝えられ
  埼玉医科大学病院の心臓血管外科の先生が息子の様子を見に来てくださる。
  PM8:00 再び人工呼吸器を装着する。
 この日の午前中 まだ意識のあるうちに息子の友人達が 
    2日間徹夜で作って持って来てくださった
   千羽鶴と声のメッセージのカセットテープを受け取り、生きる勇気と元気をもらう! 
   このときの千羽鶴とカセットテープのおかげで今の息子の命があると思います。

 4月21日(木)
  多臓器の数値もやや安定してきたので人工呼吸器を一旦はずすことができる。
  ・・・が 肺炎を併発してからの食欲不振と人工呼吸器を着けての点滴のみの栄養補給だったため
  53sあった体重は43sまで落ち骨と皮だけになった自分の身体にショックを受け 病気への恐怖 
  死と隣り合わせの現実に精神的にもおかしくなり睡眠障害まで併発する。
  容態は 悪化の一途をたどる。

 4月8日(土)
  深夜3時ごろ 呼吸が止まり始め 意識も薄れていく中 錯乱状態になってもがき苦しみ 
  どうにもならなくなり 息子が一番嫌がっていた 人工呼吸器を装着する。

 4月1日(土)
  少しずつ容態が安定していた矢先 肺炎を併発し人工呼吸器をつけなければいけないほどに
  悪化してしまったが、この時は息子本人の意思で人工呼吸器を着けずに様子を見る事にする
  しかし 肺炎の影響で多臓器までも弊害が起こってしまい この頃から急激に衰弱していった

 3月24日(木)
  胃腸科医院での胃カメラの検査結果を聞くため 再度受診 
  結果は多少胃が荒れているとのことだったが相変わらず体調が極度に悪い状態だったため 
  内科医院に受診する
  内科の先生は息子の顔を見るなり心電図とレントゲンを撮り 救急車を呼んで心臓治療のできる
  東日本循環器病院へ転送され 
  即 入院となる 心不全を起こしていた。
  (※ 後日談・・・この時 心臓は60パーセントも肥大していた)

 3月20日(月)
  偏頭痛は少し治まったものの 息苦しさ・食欲不振・倦怠感は一向に治まらなかったので 
  近くの総合病院で脳神経科と内科を受診
  脳神経科では 「偏頭痛」と 内科では「胃腸科医院にかかっているので 
  そちらで診てもらうように」と何も診察しないまま帰されてしまった。

 3月16日
  近所の胃腸科医院 受診・・・胃カメラ
  その日の深夜 0:30ごろ自室から出てくるなり 「おかん 俺もうダメ!」と真っ青な顔で
  肩で息をして倒れこむ。
  救急車で運ばれ応急処置を受け 頭痛がひどかったのでCTをとり 
  偏頭痛との診断で薬をもらって帰宅


 2006年3月 
  大学も春休みでバイトにサッカーの大会・小旅行にと忙しくも楽しい日々を過ごしていたが
  少し体調が不安定で疲れやすく、胃の具合も悪くなっていた