友達から

 D君のメッセージ(7月31日 記者会見にて)

逸郎君とは高校3年の時に同じクラスでした。
彼はいつも明るくみんなを楽しませてくれました。
僕達は逸郎君とまたこのような時間を共に過ごしたいと強く願っています。
また彼には将来の夢もあります。彼を救うには多くの方の協力が必要です。
これから一週間の募金活動において、急な呼び掛けにもかかわらず延べ150人以上の人が集まってくれましたが、僕たちだけの力ではまだまだ足りないのでよろしくお願いします。

 M君のメッセージ

最初に逸郎の「異変」を知ったのはとある飲み会の席でした。そこで彼が入院したと聞きましたが、はじめはすぐに退院するだろうとみんな考えていました。数日後に数人でお見舞いに行ったときに本人は2週間くらいで退院できるといっていたし、自力で立ち上がれない逸郎と広い個室を見ても「思ったより重いのかな」と思った程度でした。その後入院生活が暇だろうと思い雑誌を持っていったときも、立ち上がれない以外はいつもと変わらず逸郎は笑顔でくだらない話をしてくれたし、きっと大袈裟なだけなんだとそう思い込んでいました。

しかしその後、面会ができず、本人とも連絡が取れなくなり、状況がわからなくなってしまいました。みんな混乱し、心配していました。そんな時、僕の携帯に逸郎のお母さんからメールが届きました。内容は肺炎を併発したことと、「命」にまで関わるということ、そして気持ちが弱っているから励ましてほしいというものでした。
想像していなかった症状だったこともありますが、なによりお母さんが逸郎の友達である僕たちを頼ってきたことで状況の深刻さを感じました。

メールをもらっていてもたってもいられなくなり、その日のうちに一緒にサッカーをやっている仲間を回って寄せ書きをしました。急なことでしたが、みんな逸郎のことは常に気にかけていたので、夜遅くまで協力してくれました。その後、これ以外にもできるだけ協力したいと思い、千羽鶴とボイスレコーダーにみんなの声を吹き込んだものを作って渡しました。男だけで作っていたためお世辞にもきれいとはいえませんでしたが、なぜか急いで作らなければと思い、3日という急作業で完成させました。

すると渡した日の翌日、急に転院と手術が決まり埼玉へ行ってしまいました。その手術は後に聞いた話では成功率が50%を切る難しい手術で本人も気持ちが弱っていたと聞きました。そんな手術ギリギリに僕らの励ましが間に合ったこと、そしてそれを励みに逸郎がこの恐怖に打ち勝ったことはひとつめの奇跡であったと今では思っています。

 手術の数日後に自由のきかない体、ほとんどでない声、体力もない中でわざわざ「ありがとう」と伝えるためにかけてきた電話は今でも忘れられません。

 埼玉にお見舞いに行ったときにも逸郎は声はあまり出せず、体力も落ちて体も痩せ細っていました。しかしそんなつらい状況でも僕たちが行くと、いつもと変わらない笑顔と態度で接してくれ、そしてあの不細工な千羽鶴を部屋の真ん中に飾ってくれているのを見て改めて友達思いのイイ奴だと自分たちのほうが感じた気がしました。

 常に身の回りの世話や金銭的なことで支えられてこられた親族の方々には遠く及びませんし、僕たちは「勇気づける」事しかできませんでした。しかし今は募金活動ができます。目標7000万円という途方もない金額ですが、今はできる限りのことをして、募金をしてくれる皆さんとともにふたつめの奇跡を起こしたいと思っています。そしてまた太陽の下で汗だくになりながら大声で笑いあいたいです。逸郎のことを知らない皆さんもこんな僕たちのために、そして今までいろいろと力を尽くされてきた親族の方々に、そして何よりすばらしい人間である逸郎のためにご協力をお願いしたいと思っております。ご協力お願いいたします。